2017年1月25日水曜日

2つの例を見るだけ!理不尽に怒られる現象と法学の関係性。

 想像して下さい。
 貴方は職場や学校などでこんな経験、又は光景を見たことはありませんか?

【同じ行為をしても、Aさんはお咎めなし、Bさんは怒られる】

【何か問題等が発生すると、Aさんは犯人扱い、Bさんは疑われない】
等々。

 学校や職場ではこのようなことが日常的に行われています。


 最近でも、狩野英孝さんの17歳との淫行報道でも、もしこれが狩野さんじゃなかったら違ったかもしれません。

【狩野さんの淫行報道】についての法的な解釈も併せてどうぞ。


 今回はこれを法的に見てみましょう!

1 A君とB君の喧嘩

例を出すので、貴方も是非考えてみて下さい。

<事例1>

 高校で、A君とB君が喧嘩をしています。
 そして、A君がB君を殴りました。

 さて、貴方が悪いと思うのはどっちですか?

 恐らく殴ったA君ですよね?
 法律もそのように判断します。

 では次です。


<事例2>

先程のA君とB君の喧嘩です。
 実は、B君は普段からイジメをする主犯格の人間です。

 そこでB君は、A君に対して「C君を苛める手伝いをしろ!手伝わないとAの妹をボコボコにするぞ!」と言いました。

 そこで、C君のイジメも、妹がボコボコにされることも拒否したA君はB君を殴りました。


 さて、貴方が悪いと思うのはどっちですか?

 これは意見が分かれるかもしれませんが、恐らくB君の方が悪いと判断する人の方が多いのでは?と思います。


<人によって価値判断が違う>

ここで意見が分かれるのは、人それぞれに価値判断が違うからです。
 事例1では殴った行為だけを見て判断するので、A君が悪いと判断する人が多いです。

 一方事例2では、「A君が殴ってしまうのは仕方がない」と思えるようなことをB君がしているから、天秤に掛けてB君が悪いと判断するのかと思います。


 A君の行為自体は何も変わらないのに、悪者が変わるのって変だと思いませんか?

 これが最初に言った、職場や学校で人によって扱われ方が違う現象の原因です。

 その状況を判断する上で、その者の人物像、イメージ・素行等が大きく影響する考え方をすると発生する現象です。

 法学ではこれを【裸の価値判断】と呼びます。



2 裸の価値判断

法学的にはこの裸の価値判断で判断しません。
 事実は事実として、「定義されている悪い事をしているか?していないか?」で見ます。
(ただし、情状って形で参考にはします)


<事例を法的に見る>

A君はB君に酷いことを言われ、B君を殴りました。

 法律はB君の普段からの人間性や言った言葉は一端置いておき、

【A君がB君を殴った】
この事実だけに着目します。

 そのため、裸の価値判断では「A君はB君を殴っても仕方がない」って事例でも、A君の殴った行為を悪い行為だと判断します。

 「人を殴ってはいけない」って法律に反する行為をしていますので。
 このように、事実を事実として判断するんです。

 もちろん、B君の文言は強要行為ですので、B君の行為も悪い行為と判断します。

 つまりこの事例2は「A君も、B君も悪い行為をした。」と判断されます。

 これを言い表した言葉としては
「喧嘩両成敗」
とか
「罪を憎んで、人を憎まず」
が挙げられます。


<罪を憎んで、人を憎まず>

これは、その行為に着目すべきであり、その人物像を見て「悪者だ!」等と勝手に決め付けてはいけないってことです。

 つまり、「裸の価値判断をするな!」ってことです。



3 最後に

このような考え方は法学云々だけではなく、生活の中で結構重要なモノの見方です。

 このような見方をすることで、安易な判断をしなくなりますので、公正な判断を出来るようになります。

 だって、行為・事実を見るだけですので、人によって態度を変えるなんてことをしなくなりますので。


 このような考え方・モノの見方はカウンセリング理論・心理学では行動療法・行動主義理論的な見方です。

 パブロフの犬で有名な理論ですが、一部だけを見て「この人はこのような人間だ!」と判断せず、その都度事象だけを見るってことですね。

 だから「この人はこのような人間だ!」とは見ずに、事象が積み重なっていくだけなので、どんな人間でも受容・受け入れることがし易くなるんですね。



 今回は行政書士とも、時事とも関係ないことでしたが、是非裸の価値判断だけではなく、このような俯瞰(ふかん)で見る意識も持ってみてはいかがでしょうか?

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